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トルコに帰って

2007/08/29

エジプトからトルコに帰ってきた。
一度行った国に帰ってくるのは初体験だったんだけど、
たった2週間だけど、
すごい懐かしくて、帰ってきたーって感じだった。
実は、イスタンブールでは1ヶ月間、
個人で旅行業をやっているブレントと、
共同経営で絨毯屋をやっているもう一人のブレントと、
両方のブレントの下で下積みを積んでいるジャン、ナジミと
アフメッド(ブレントと旅行業で共同経営してる)、
に本当に良くしてもらった。

トルコは本当にこれから何かをしていくという、
エネルギーで一杯だ。
実際に2010年のユーロ化に向けて、
地下鉄を増設する工事をしていたり、
両方のブレントのように、
これからのトルコを見越して、
細やかなサービス業をいち早く実践して、
自分に優位に持っていこうとするのもあまり不自然に感じない。

これは旅行業をやっているブレントの話しだが、
少し大げさな話しだけど、
イスタンブールにはアジア側、ヨーロッパ側で分かれていて、
同じ国なのに、その間でパスポートチェックなどの、
審査も儲けるべきだという話しもあるらしい。
それくらい、イスタンブールはバタバタしていた。
ある人は新市街は危ないと言って、
ある人は旧市街は危ないから行くなという始末だ。

両方のブレントは2人共、南部のカッパドキア出身の幼馴染だった。
2人共幼い頃から学校には行かないで、
親の事業の手伝いやイスタンブールという都会に出て、
どこかのお店の手伝いをしていたらしい。
もちろん2人の手伝いをしている人たちも同じように、
まともに学校は出ていない。
そして、その内の3人共クルド人だったりする。
(もちろんクルド人の歴史をそこまで知らないのでそれ以上書くことはできないけど。)

でも、彼らはトルコのイスタンブールにある、
一番、有名な銀行の受付の娘よりも、
全然、色々な言語をしゃべれるんだ。
イスタンブールにいて彼らに本当にお世話になったけど、
それは本当に印象的な事柄かな、
自分も色々と勇気付けられたし、
彼らに、一般的な教養も必要なんじゃないかなとも思った。
でも、彼らはそれ以上に力強く生きていて本当に勇気付けられた。


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